長崎 原爆落下中心地と平和公園

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福岡からの高速バス・九州号が長崎市内に入り、平和公園で降ります。

近くの地図を見ると、バス停のすぐ横にあるのは平和公園ではなく、「原子爆弾落下中心地公園」。

ここも平和公園の一部という位置付けかな?

先ずはこの原爆落下中心地公園から見学します。

これが原子爆弾落下中心地碑。現在の黒御影石製の碑は1968年(昭和43年)に建て直されたもの。

後で行った原爆資料館で知ったのですが、原爆って地上に落下して爆発したのではなく、上空約500mで爆発しているんですね(広島も同様に上空約600m)。

被爆し大半が崩落した浦上天主堂(現 浦上教会)の壁の一部が移設され、遺構として保存されています。

この獅子像、後で行った浦上天主堂にも残っていました。

階段で降りたところに被爆当時の地層が残されています。

ガラス板?アクリル板が?結露していて、うまく撮影出来なかった。

公園の道路に近いところに母子像。被爆50周年記念事業の一環で1997年に製作されたものです。

当初は原爆落下中心地碑を撤去し、この母子像に置き換える計画だったようですが、反対運動により実現しませんでした。

この母子像の作者は長崎市出身の富永直樹という彫刻家で、平和公園にある有名な平和祈念像の作者・北村西望氏の弟子だそうです。

続いて北隣にある平和公園、正確には平和公園の願いのゾーンへ。

訪れる人が少ないせいか、エスカレーターは休止中なので階段を登って行きます。

遠くに平和祈念像が見えます。毎年8月9日にニュースで見ていたあの像です。

目の前にあるのは「平和の泉」。石碑には被爆者・橋口幸子さんの手記が刻まれています。

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のどが乾いてたまりませんでした

水にはあぶらのようなものが

一面に浮かんでいました

どうしても水が欲しくて

とうとうあぶらの浮いたまま飲みました

平和祈念像へのアプローチには各国から寄贈された像が並んでいます。

ソヴィエト社会主義共和国連邦。

チェコスロバキア社会主義共和国。

ドイツ民主共和国(東ドイツ)。

ブルガリア人民共和国。

中華人民共和国から寄贈された乙女の像。

裏には「和平」と刻まれています。

合併した国、分離した国、政治体制が変わって国名を変更した国など、現在は存在しない国も多く、時代の流れを感じます。

長崎の鐘、1977年(昭和52年)建立。

下には「長崎の鐘よ鳴れ・・・」の碑文、奥には動員学徒、女子挺身隊、徴用工、一般市民ら原爆殉難者之碑。

新型コロナウィルス感染拡大に加え、昨日には大型の台風が接近したせいか、観光客もほとんどおらず、ガラガラです。

近くで見た平和祈念像ですが、思っていたより青っぽい。もっと白っぽい(水色っぽい)イメージでしたが・・・

調べたら、昨年19年ぶりに像の色の塗り直し作業が行われたようで、これが本来の色味のようです。

平和祈念像の作者・北村西望氏の言葉。右手は「原爆」、左は「平和」を表現しています。

次は浦上天主堂(浦上教会)へ向かいます。

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