姫路城にも匹敵するほど大きかった津山城 日本三大平山城

東津山駅から津山駅へ戻って来て、次は津山城跡へ向かいます。

吉井川に架かる今津屋橋から撮影してみましたが、鉄塔が思いっきり邪魔ですね。

もうすぐ津山城跡というところまで来て、「しまった!」。

津山駅近くの津山まなびの鉄道館へ先に行く予定が、すっかり忘れていました。さすがにここから戻る手はないわな。営業時間が16時までなので、この後の散策ルートを周ってからだともう無理か。

津山城への入口にレトロな洋館が出てきました。森本慶三記念館という歴史民俗館ですが元は1926年(大正15年)に建てられた旧津山基督教図書館で、国の有形文化財に指定されています。一見石造に見えますが、木造(一部鉄骨トラス造)だそうです。

森本慶三記念館は後で時間・気力があれば来てみようと思っていましたが、帰りは別の出口を利用したので結局行かずじまいでした。

先を進みます。

階段を登ったところに重さ2.3トンの「忘れ去られた石」。平成10年(1998)の台風10号通過後に、津山市大谷にある津山城石切場跡近くの谷川で発見され、ここに持って来られたもの。津山城の石垣に使われるはずが、石切場近くに忘れ去られたということらしい。

明治の廃城令で津山城は取り壊されましたが、当時はこんなに立派な城郭でした。姫路城、松山城と並んで日本三大平山城とも呼ばれています。ウィキペディアによると「往時は外郭を含めて、広島城の76棟、姫路城61棟をしのぐ77棟の櫓が建ち並び・・・」だそうです。

江戸時代に津山城を築城した森忠政公の銅像。

津山城(鶴山公園)の入場料は大人310円。現金の他、PayPayとLinePayも使えます。また津山まなびの鉄道館などとのセット割引もあるようです。

なかなか迫力のある石垣です。

正面に見えてきたのが、津山藩の学問所(文学所)として1871年(明治3年)に建設された修道館を源流とする鶴山館。修道館は建設の翌年明治4年に廃藩置県で廃止されますが、明治時代の近代教育制度の下の学校校舎として利用された後、1904年に現在地の津山城三の丸跡に移築され「鶴山館」と呼ばれるようになりました。現在の鶴山館は1974年(昭和49年)に復元されたものです。

三の丸から二の丸へ上がって行きます。

津山城跡のフォトスポットの一つ、備中櫓のふもと。

いよいよ二の丸から本丸です。

本丸まで上がって来ました。津山城跡は桜の名所として有名ですが、まだ花見まで2~3週間は早いので、人出はまばらでした。

平山城なのでそれほど標高もないので、山城の備中松山城のように絶景というわけにはいかないですね。

令和元年末から令和4年7月までの予定で二の丸東側石垣修復工事が行われています。

本丸の南西端にある備中櫓を見学します。明治の廃城令で津山城の当時の建物は全て取り壊されましたが、備中櫓は平成14年(2002年)の築城400年記念行事の一環として復元され、平成17年(2005年)に完成したもの。さすがに天守を復元するのは予算的に難しいか・・・

当時の備中櫓は津山藩主・森忠政の娘婿である鳥取城主池田備中守長幸が津山城を訪れるの機に建設されたと考えられています。

二階には一段高くなった「御上段」があります。

トイレも復元されています。

いよいよ最後は天守台です。ここに4重5階地下1階の天守があったのです。天守の建物自体の高さは22~23メートルだったようで、現存12天守と比較しますと、姫路城31.5メートルや松本城29.4メートルには及びませんが、現存12天守で第3位の松江城22.4メートルとほぼ同じです。

天守台に上がろうと思ったら、何やら札が立っています。

ハートの形をした「愛の奇石」ですって。よくあるパターンです。

これです。

天守台に上がりました。

かつて津山にこんな立派なお城があったとは知りませんでした。廃城令で取り壊され当時の建物は残っていないのに、入場料を取るなんて強気だなあなんて思っていましたが、迫力ある石垣群と天守台だけでも見る価値はありました。

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