総社駅から井原鉄道に乗ってJR福塩線の神辺駅まで行くのですが、井原鉄道に乗る機会なんて今後もそうそうないと思うので、沿線に観光出来るようなところはないか調べたところ、矢掛町の存在を知ります。
旧山陽道沿いの宿場町として栄え、江戸時代からの古い町並みが残り、令和2年12月に矢掛町矢掛宿として重要伝統的建造物群保存地区に選定されたばかりです。
びっちりスケジュールを入れているので、矢掛駅に12:30着で13:30発までわずか1時間だけですが散策してみようと思います。1時間と言っても、矢掛駅から矢掛宿のあたりまで徒歩約10分掛かるので、見学時間は実質3~40分程度です。
旧山陽道の少し手前にある、やかげ郷土美術館。この日は月曜日で定休日でした。
重要伝統的建造物群保存地区になっている旧山陽道沿いに着き、正面に見えてきた立派なお屋敷は旧矢掛本陣 石井家住宅。本陣とは参勤交代で江戸と国元を行き来する大名をはじめ、公家、幕府役人の宿となった建物のことです。
石井家は大庄屋であり酒造業を営んでいました。主屋は江戸末期の安政期(1855~1860年)から明治にかけて、主屋の西側の屋敷は天保3年(1832年)、裏門・西倉・酒倉などはそれより古い江戸中期の建築で、主屋を含めて11棟が国指定重要文化財となっています。矢掛で一番の見所とも言えますが、こちらも月曜日は定休日。
この旧矢掛本陣 石井家住宅から東へ、旧矢掛脇本陣 高草家住宅あたりまでが矢掛の中心という感じですが、西側にも少し気になる建物があるので寄ってみます。
グーグルマップで目を付けていた洋風の建物なのですが、改修工事なのか足場で囲われていました。矢掛と言えば江戸時代からの町家というイメージですが、所々に洋風建築もあるのです。
この横山精肉店もそうですね。構造自体は木造で、建物の前面だけを西洋風の装飾を施したもので看板建築と言います。大正末期から昭和初期の建物が多いようです。
建築物とは関係ないですが、プラモデルファンには聖地と呼ばれるエラヤ。店内にはものすごい数のプラモデルが並んでおります。
佐藤玉雲堂という和菓子屋さん。矢掛名物「ゆべし」の看板が出ています。同じ岡山県の高梁もゆべし(柚餅子)が名物でした。
プロパン・肥料店などもあります。
中国銀行矢掛支店の隣にあった古そうな門と住宅、詳細不明です。
こちらは魚屋さんです。矢掛にはスーパーマーケットではなく、各商品の専門店が残っています。この旧山陽道沿いの重要伝統的建造物群保存地区にはコンビニもなかったような気がします。
川田商店という精肉店、ここも前面を西洋風にした看板建築ですね。
矢掛ビジターセンター問屋(「とんや」ではなく「といや」)という観光案内所。江戸時代には「因幡屋」という屋号で、宿場から宿場へ公用の貨客を運ぶ馬や人足などの輸送手配を行っていた場所らしい。内部は無料で見学出来るのですが、時間がないので外から眺めるだけ。
すぐ先に旧矢掛脇本陣 高草家住宅。脇本陣は本陣と同じく参勤交代で江戸と国元を行き来する大名、公家、幕府役人の宿ですが、宿泊が重なり本陣が一杯になった場合、本陣の予備的な役割を果たします(基本的に格下の者が脇本陣に泊る)。
両替商を営み庄屋でもあった高草家住宅は江戸後期から明治初期の建物で、主屋をはじめ9棟が国指定重要文化財となっています。土日のみ公開されており、この日はお休み。
蔵みたいな座敷の蔵座敷。明治5年(1872年)の建築。
旧山陽道の一本南側、国道486号線沿いに2021年3月にオープンした「道の駅 山陽道やかげ宿」。モダンな建物ですが、デザインは岡山県出身の工業デザイナー・水戸岡鋭治氏が監修したそうです。井原鉄道の夢やすらぎ号と同じですね。
一般的に道の駅というと、地元産品販売が一つの目玉になりますが、ここは隣接する旧山陽道沿いの商店街を物販・飲食コーナーと位置付けて、館内にはこうした施設を作らなかったそうです。
旧山陽道に戻り、旧矢掛脇本陣 高草家住宅の蔵屋敷の横の大高草小路を通って、矢掛駅の方へ向かいます。
途中にあった太陽美術館。元漫才コンビ「ちゃらんぽらん」で、現在は画家の大西幸仁氏がオープンした美術館。
ほんのわずかな時間でしたし、月曜日で閉まっている施設も多かったですが、散策することが出来て良かったです。矢掛宿自体それほど広い範囲ではないので、所要時間は2~3時間、食事を含めてゆっくり見ても半日あれば充分かなと思いました。
昨年の高梁市吹屋に続き、今回の旅で津山市城東、津山市城西、倉敷市倉敷川畔、矢掛町矢掛宿と巡り、一気に岡山県に5ヶ所ある重要伝統的建造物群保存地区をコンプリートしました。