備後国一宮 福山・吉備津神社 桃太郎のモデル・大吉備津彦命三社巡り

大吉備津彦命三社巡りの最後、備後国一宮・吉備津神社に向かいます。地元では「いっきゅうさん(一宮さん)」と呼ばれているようです。

さきほどの素盞嗚神社から歩いて35分、やっと到着しました。坂があるわけではないのですが、朝から歩き通しなのでさすがに足が疲れてきました。

県道26号線をはさんで御池があります。

ここには厳島神社が鎮座していますので、寄ってみましょう。

多紀理毘売命(田心姫命)・市寸島比売命(市杵島姫命)・多岐都比売命(湍津姫命)、いわゆる宗像三女神が祀られています。厳島神社って、総本社で世界遺産・国宝の厳島神社(広島)もそうですが、宗像三女神を祀っていることを初めて知りました。

それでは石鳥居を抜けて、参道を歩いて行きましょう。

福山市指定重要文化財の下随神門。

参道の右手に広い敷地が開けています。駐車場なのでしょうか?

樹齢300年以上と推定されるイチョウの木。

犬・猿・キジを従えた桃太郎像があります。吉備津神社の主祭神である大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと、吉備津彦命とも)は桃太郎のモデルとされています。

奥には鎌倉時代のこのあたりの武将・豪族の桜山茲俊を祀った櫻山神社が鎮座しています。桜山茲俊は元弘の乱で鎌倉幕府打倒を目指す後醍醐天皇側に付いたが、劣勢となったところで吉備津神社の社殿に放火し、一族共々自害した人物です。放火した人物を祀るのかと思いましたが、長らく神社を尊く崇めており、放火も荒廃した社殿の復興を願ってのことという美談のようです。

それでは本殿に向かいましょう。

石段を登ったところで上随神門。

広島県指定重要文化財の神楽殿。

吉備津神社では本殿の改修工事が行われており、その期間は拝殿を改造して仮本殿としていました。本殿の改修工事終了後は、仮本殿を元の拝殿に戻す工事が行われます。

吉備津神社は平安時代初期の806年創建と伝わっていますが、延長5年(927年)にまとめられた延喜式神名帳には記載されておらず、もっと後ではないかとの説もあります。現在の本殿は慶安元年(1648年)に福山藩主・水野勝成が再建したもので、国の重要文化財に指定されています。

こちらが改修工事中の本殿。工事もほぼ終わりという感じですかね。本殿が工事中なのは残念ですが、逆に言えば、滅多に見られない姿と前向きに考えましょう。この翌月には工事を終え、ご神体を仮本殿から戻す遷座祭が行われました。

まぶしいくらい鮮やかな朱色ですが、ネットで以前の画像を見ると、もっと落ち着いた色合いでした。でもこれが再建当時の「鉛丹色」を再現したものだそうで、これから時間の経過とともに落ち着いていくのでしょう。

境内にはいくつか摂社・末社がありますので、見ていきましょう。

本殿前にある公孫樹乳房神。公孫樹=いちょうです。イチョウは気根が乳房状に垂れ下がることがあります。子孫繁栄の御利益があるようです。

稲荷神社と十二神社への参道。

十二支の石像が安置されています。

桃から生まれた桃太郎の像も。

吉備津稲荷神社。

十二神社とはさきほどの十二支のことかと勘違いしていましたが、大吉備津彦命の一族12柱と大名持神(大国主神)が祀られた社殿がありました。

多理比理神社(たりひりじんじゃ)、末社ながら延喜式神名帳に記載されている、いわゆる式内社「備後国品治郡 多理比理神社」の論社とされています。

御井神(木俣神)を祀る真名井神社。

山雷神社(やまいかづちじんじゃ)、雷神を祀っています。

聖徳太子を祀る厩戸皇子神社。聖徳太子を祀る神社ってほとんど見ないし、吉備津神社とどういう関係があるのだろう?ネットで調べると、全国に太子講という大工や桶屋、畳屋などの職人の間で行われる行事があるらしく、聖徳太子は様々な職人の間で信仰の対象となっているようです。

疱瘡神社、疱瘡は天然痘を意味します。御祭神は医薬の神様・少彦名神。製薬会社が集まる大阪・道修町にも少彦名神社(神農さん)がありますね。

十麻里二柱神社(とまりふたはしらじんじゃ)、大吉備津彦命の親族12柱を祀っています。

平日でもあり、また最寄駅からも遠いせいか、備後国一宮なのに参拝客はほぼ皆無、静かに過ごすことが出来ました。

一日で備前国一宮・吉備津彦神社、備中国一宮・吉備津神社、備後国一宮・吉備津神社をコンプリート、前日に続き3万歩超でかなり疲れましたが、達成感でいっぱいです。

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