金城町石畳道 真珠道の一部 那覇・首里

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首里城を見学後、周辺も散策してみます。

人工池「龍譚(りゅうたん)」。人工池と言っても、1427年に造られたもの。1427年と言うと第一尚氏第2代尚巴志王(中山国王)の時代で、2年後の1429年に三山が統一され琉球王国が成立します。

龍譚の周辺には、アヒルに似たカモ目カモ科のバリケンという鳥がたくさんいます。

かなりの悪相です。

バリケンは台湾アヒルなんて別称もあるようです。バリケン?タイワンアヒル?何か聞き覚えが・・・

台湾・高雄の蓮池潭にある春秋閣という道教寺院の周りにもいたやつですわ。

龍譚の隣には円鑑池という同じく人工池が。こちらは1502年に造られたもの。池には弁財天堂と天女橋があります。

円鑑池のそばには円覚寺跡。円覚寺は1494年に建立された臨済宗の寺院で、第二尚氏王統歴代国王の菩提寺でしたが、第二次世界大戦時に破壊されました。

1968年から復元整備作業が行われており、現在は総門とその両側の石垣、右脇門、放生池のみ復元されています。

かつての伽藍配置図。

次は真珠道(まだまみち)跡の一部である金城町石畳道へ行ってみましょう。

真珠道は琉球王国第二尚氏の第3代尚真王から第4代尚清王の時代に一般庶民の交通と軍用道路の目的を持った官道として建設され、首里城から金城坂(首里金城石畳道)、識名坂、国場、真玉橋、豊見城城、宇栄原、田原、垣花、屋良座森城(現在の那覇港あたり)を結びます。

琉球石灰岩のブロックを隙間なく敷き詰めて舗装された表面は、1522年~に作られた当時は真珠のように白く輝いていたのが「真珠道」の語源・由来のようです。

脇の崖も琉球石灰岩かな?

日本の道100選にも選ばれています。

建設当時の石畳が残っているのかと思っていましたが・・・第二次世界大戦で真珠道の大半が破壊され、その後はコンクリートで舗装されていましたが、1983年(昭和58年)に歴史的地区環境整備事業によって再び石畳に整備されたのが金城町石畳道のようです。

三叉路にある石敢當。中国・福建発祥の魔除けで、東南アジア・東アジアでは稀に見ることがあって、見つけるとめちゃくちゃテンション上がるのですが、沖縄ではそこらにたくさんあります。

この石敢當のところから脇道に入って行くと、首里金城の大アカギがあります。大きなアカギは1本ではなくて、5~6本生えています。

アカギの根元には内金城嶽という拝所もあります。

近くの民家の庭先にあった「月桃(サンニンとも)」。近くの団体ツアーのガイドさんが説明しているのが聞こえてきたので分かったのですが。月桃はお餅を包んだり、粉状にしてケーキに使ったり。東南アジアで使われるパンダンリーフ(タイ語だとバイトゥーイ)と同じかなと思いましたが、違う植物でした。

脇道をぐるっと回る形でまた本道に戻ります。

沖縄の伝統的家屋の金城村屋が出てきました。古民家風ですが、1996年に建設された建物です。

観光客の休憩所兼地域の集会所を兼ねた建物となっていて、私も縁側にしばらく座って休憩させてもらいました。

金城村屋のすぐ前には大きなガジュマルの木があり、たくさんの気根が垂れ下がっています。

石畳はここまでのようです。

結構急な坂なので、登りとなる首里城方向へはかなりしんどそう。下りは下りで、雨が降って濡れていると滑りやすそうですね。

ネットの記事によると、金城町石畳道は238メートルとなっているのですが、グーグルマップで見るともう少しありそうな感じ。「日本の道100選」のデータでは総延長500メートルになっています。

首里金城町石畳道周辺の地図とホテル

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