石上神宮を後にして、山の辺の道を歩いて行きます。
石上神宮から10分程歩いたところで、「うち山や とざましらずの 花ざかり 宗房」という句碑。宗房は松尾芭蕉の若い頃の俳号です。この辺りには内山永久寺という大寺院があったのですが、外様(よその人)は知らない美しい満開の桜を詠んだ句です。
内山永久寺は永久2年(西暦1114年)鳥羽天皇の勅願により創建され、広大な寺領を持ち、東大寺・興福寺・法隆寺に次ぐ規模の大寺院で、その壮大な伽藍は「西の日光」と呼ばれるほどでした。しかし明治期に入っての神仏分離令・廃仏毀釈の波に抗えず、廃寺になってしまいました。
かつての庭園にあった本堂池。
当時の内山永久寺の絵図。
後醍醐天皇が吉野へ逃れる際に一時的に身を隠したとされる萱御所跡。
少し高くなったところに「内山永久寺跡ポケットパーク」。案内文とベンチが置いてあるだけですが。すぐ隣の果樹園?ではお父さんが畑作業をしていて、かつては大寺院の伽藍があったとは思えないほどのどかな場所です。
内山永久寺の仏像や仏画は国内外へ散逸し、建物は取り壊されました。唯一残っている建物の遺構が、移設された現在の石上神宮摂社 出雲建雄神社拝殿です(国宝に指定されています)。
引き続き山辺の道を歩いて行きます。
次の目的地である夜都伎神社へはここで左折するようです。グーグルマップを見ると、まっすぐ行って(その先が左に曲がっている)も行けそうですが、こちらが山辺の道ということなのでしょう。
石畳になっており、かなり急な坂です。グーグルマップにある「石畳の激坂」かな。こちらからは下りですが、向こうからはかなりの急登でしんどそう。
すぐに舗装された道に出ますけどね。
グーグルマップにも掲載されていた「お地蔵さま」。
向かって右が杣之内石塚古墳、左が東乗鞍古墳。
夜都伎神社に到着。案内板には「やとぎじんじゃ」とフリガナがあったので、これが正しいのだと思いますが、ウィキペディアには「やつぎじんじゃ」と書かれています。
御祭神は春日大社をはじめとする全国にある春日神社と同じで、総称して春日大神と呼ばれる武甕槌命(たけみかづちのみこと=鹿島神)、経津主命、天児屋根命、日賣大御神の4柱。夜都伎神社も春日神社と呼ばれることがあるようです。
珍しい茅葺きの拝殿が一番の見所でしょうか。
拝殿の後方にある本殿。
境内に丸太のベンチがあったので、しばらく休憩させてもらいました。まだ本日の行程の1/4をやっと過ぎたくらいでしょうか。